『TAROの塔』『太郎と敏子〜瀬戸内寂聴が語る究極の愛〜』
TATOの塔
- 1話。面白かったが、かの子ママの存在感が圧倒的すぎて主人公がそれ以上面白いキャラになれる気がしない。いや実在の人間に言う言葉ではないが。4
- 「少しずつ自分を殺して、譲り合うことで馴れ合うだけの調和なんて卑しい!」カッコいいけど、かくありたいけど、馴れ合い禁止なんて言われたら私みたいな凡俗はツイッターやってらんないじゃないですかー!やだー!
- [twitter:@kisohiroshi]恥ずかしい話ですが、時代も人物も良く知らない状態で見始めて寺島しのぶの迫力と松尾スズキの眼力に打ちのめされています。というか「まぼろし万国博覧会」「電子音楽in Japan」の二冊の本でおぼろげな70年代幻想を抱いてしまったかも
- 何となーく現代音楽っぽい(あくまでイメージ。プリペアドピアノっぽい個所があったような?)BGMも気になったのですが、ハイ島邦明氏だったのですな。私にとっては「ウルトラマンマックス」と「世にも奇妙な物語」の人。チャンピオン読者的には「エイリアン9」も挙げるべきか
- 2話。岡本太郎のプロデューサー就任会見を万博協会が不安顔で見つめる中、ひとり笑みを絶やさない丹下健三。しかし大屋根に穴を空ける岡本案に初めて怒りを見せる。芸術家同士のぶつかり合いが描かれるが、部下の捨てた図面を拾う丹下と岡本にはスタンスの違いがありそう
- 3話。二科会と決裂し、前衛芸術の同志にまで否定された太郎。「地獄を生きる」なら世評どころか仲間からの理解すら期待してはいけないのか。そしてシャーマンと化した敏子の手で塗料を塗りつけられて再生する。今回も濃厚でした
- 戦地から帰ってきた太郎が廃墟の日本を目にして「ばくはつだー」のポーズ(両手を上向けるやつ)をとるシーンは結構なインパクトだった。戦争から解放された爽快感で溢れているのが凄い(見ようによっては震災を想起させるため、この所為で放映が遅れたのかもしれないが……)。
- 4話。最終回。万博への参加やTV出演といった「体制にアバンギャルドが取り込まれる」ような行為を「内部からの変革」「ピープルに影響を与える」として肯定してゆく回。道化や生贄であることも「岡本太郎の戦い」だと。
- ドラマとしての迫力は凄まじいけれど、歴史的に正しい見方なのかまでは分からない。