『宇宙戦艦ヤマト』『SPACE BATTLE SHIP ヤマト』
- 過去に接したことのあるヤマトは漫画だけ。ついでにいえばギャラクティカも知りません。
- 実写版は正直あんまり……艦隊戦の高速アクションに動態視力が追い付かなくて困った。実写TFを見た時もひどく疲れたし、私は今時のCGアクションに不向きなのかもしれない。もっともTFの方は、執拗に繰り返される童貞弄りギャグに耐えられなくなったというのも大きいんですが
- 波動砲砲門に張り付いて、キムタク特攻の原因にもなった「アレ」を外部から除去する方法はなかったのか?アナライザーに船外作業やらせるとか。ガミラス戦闘機がヤマトの位置情報を知らせる可能性も分かっていたのに、なぜアレをぶら下げて帰ってきちゃったのか
- 小川和紀氏[twitter:@ogawa4042]の書かれているヤマト(アニメ劇場版1作目)感想ツィートを興味深く読んでいる。キムタク版で何が削ぎ落とされたのか少しずつ分かってくる。
- 小川和紀氏のヤマト(アニメ劇場版第1作)感想まとめ http://togetter.com/li/78345
- [twitter:@kimlla]さんの「さらば宇宙戦艦ヤマト」評を読む。パンフを読む限り、キムタク版は「さらば」で感動した人達が作ってるっぽい。
- だ☆めーづ: 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に思う http://damedesu-orz.org/kimlla/archives/films/201011110028.html
- 劇場版ヤマトを視聴。キムタク版は特攻を肯定するどころか、むしろ主要人物を特攻させることを目標に作っているような話の組み立てが不快だったが、少なくとも劇場1作目はそういう話ではない。
- さらば宇宙戦艦ヤマトを視聴。土方艦長の指示で宇宙気流を乗り切るくだりは渋い。でもさすがに2時間半の尺は長い。デスラーの宇宙漂流は生存フラグなんだっけ?本拠地ごと地球に接近する敵、「実の弟のように思っていた」という台詞や空間騎兵隊のDQN臭等、実写版後半部分の下敷きになってるのは分かった。「特攻美化」の是非については何とも言いがたい。ロボットアニメ等で描かれる特攻的なものをある程度受け入れてきてしまった訳だし……
(Twitterから。2010年12月9日〜2011年4月25日のツイートを抜粋、一部修正)
朝ドラ(主に愚痴。不毛。)
- 男二人で温泉旅行とか朝ドラがいやらしいです><
- お好み焼き屋を探して食べに行く程度の影響は受けているが、下宿ものと料理ものを強引にニコイチした基本設定に無理を感じるので朝ドラ自体にはあまり好感を持っていない。ついでにいうと「常連客がたむろしてる店」に良い思い出がまるでない。ああいう店は一見の客を邪険にする
- ペア旅行券の使い道に頭を悩ますツンデレ。そんなラブコメ的展開。年季の入った老ツンデレだが
- あの老ツンデレは、精神年齢が肉体年齢より50ほど若いと想定すれば素直に見られるのではないか。RD潜脳調査室の主人公のように
- 鉄工所のシーンで、「実際の作業には防塵マスクが必要です」というテロップが挿入された。昔はこの種の注意書きを無粋としか思わなかったけど、ツイッターにおけるデマゴーグの拡散力の高さを見ると、誤った情報を訂正する作業も必要だと思わざるを得ない。
- もんじゃとお好み焼きが食べられるお店はありがたい。でも一人もんじゃ中にカーテンで隣席と仕切られるのはちょっとやるせない気分。隣席から朝ドラのタイトルが聞こえてきたが、話題にした当人含めて誰も見てないらしい。まあ仕方ないやね
- 朝ドラのタイトルを入力すると「てっぱん つまらない」を候補に挙げるぐぐるさんマジ非情
- 主人公がツンデレを誘引する磁場を発していることを再確認。老ツンデレを筆頭に極端な性格のキャラばかりで決して楽しくはないが、「フライヤーをポスティング」で笑ってしまったのが悔しい
- シングルマザーになるかならぬかという微妙な問題に、下宿の住人のみならず鰹節会社までヤイヤイと口を挟むという無神経にすぎる展開。口出ししているのは殆どが男性。ほかの子は我慢できるの?
- この番組には(疑似)家族関係の暖かさ以上に過干渉のウザさを感じることが多いのだけど、今日の回はそれが極まってた感じ。
- 職場で昼休み中。同僚がTVを見ながら「震災以降TVはおかしくなってしまった」とぼやくが、この番組がおかしいのは前からだと思う。
- 父のいない子供を身篭る母が、陣痛が来る段階になっても再婚相手(見込み)とのごたごたが収まらないという酷い話なのよ
- 本人は最初中絶を希望していたんだが……
(Twitterから抜粋、改変)
『あしたのジョー』
- 原作とアニメは断片的にしか知らないが、実写版は肉体の作りこみに有無を言わせぬ迫力があって良かった
- 映画パンフは過酷な身体改造とガチな試合描写についての記述が半分以上を占めている。改めて自分が恐ろしいものを見てしまったことに気付かされる。力石が計量したときの抉れた腹も、拳がヒットした瞬間の歪んだ顔も作り物ではないらしい
- 微妙な比較だけど、アニメ映画(第1作)と実写版なら後者の方が面白かったかな。
- アニメ映画は音楽のタイミングに違和感が大きいのと、尺の割り振りに不満がある。TV版の力石戦はもっと濃密さを感じたんだが。少年院編やプロ復帰の下りよりも試合に尺を割くのは、総集編では難しいのかな。
- 実写版のあとにアニメ劇場版を見ると、序盤の展開が凄くもたついて見えるのよね
- アニメ劇場版が力石が死後のジョーと白木ジム側のやりとりをバッサリ省略してジョーの絶叫で〆てるのは凄く当惑した。大胆なことをするなあ……いつか原作も読んでみましょうか。
(Twitterから抜粋、一部修正)
[twitter:@simakazu] あと あしたのジョー映画は 脚本がよかったよ!最初のずばっずばっと物語をまとめて進めていく手法なんか最高だった!よくああいう風にまとめた!って拍手したいくらい。
http://twitter.com/#!/karafuto1979/status/41260498619998208
月刊MEGUとテクノブーム
- 急に思い出した。面白くないと思いながら月刊MEGU('95〜'97)を読んでいたのは、テクノブームを紹介する連載があったのも一因だと。
- 森本晃司のアニメPV(EXTRA)が話題になったケン・イシイにインタビューして「これからアニメの音楽はみんなテクノになります(笑)」とか言わせてた。
- 当時の友人だった、ジャージが正装のサブカル男子にはすこぶる不評だったけど。文章も推薦盤の選択もダサいって。たしかに、受け狙いで大事MANブラザースバンドを紹介するセンスはあれだったね。
- 流石に「アニメの音楽はみんなテクノ」なんて事態はこなかったけど、PS版攻殻機動隊・アレキサンダー・ブギーポップのサントラなんかは実質テクノコンピレーションになってた。時代の産物って感じ。
- ジャージを来た親友というグルを得て、彼の薦めるテクノ名盤を聞いてはみたものの、途中からテクノポップ方面に逸れだした結果現在の私があります。
- 今思えば平沢進/P-modelにハマるタイミングが良かったのかもしれない。当時はヴァーチャルラビットとかが貴重盤になると思ってなかったもんなあ。
- 今では連絡のつかないジャージ君を含め、自分の周囲での平沢/Pへの反応はさっぱりで、まさにド迫力なマイナーだと実感していた。今はなきEasyseekが元で知り合った人にダビングして送りつけた150分テープで初めて好感触を得たのだけど、彼とも連絡がつかず。ぼっちなう。
- 90年代後半以降のテクノブームとアニメ文化の関係って誰かが総括してないかな。lainのCDでノンストップミックスのやつとかあったよね。
- 当時の揶揄語「オサレアニメ」は、クラブミュージックをBGMにしてハイセンスをアピールする作品をかなり含んでいた気がする。
- 絶対見てないとは思いますが、ムトーさん、平田さん、もしこのページが目に留まったら連絡ください。
(Twitterから抜粋、加筆。)
石ノ森章太郎『仮面ライダーBLACK』(萬画版)
バッタ男の怪奇な世界旅行。下水道の白い鰐、オペラ座の怪人、中国の野人などを巡る冒険の中、光太郎は己の正体を知る。
同名特撮ヒーローの原作者によるコミック版。世界各地のUMAや超常現象ネタを盛り込み、TVとは趣の違う怪奇活劇になっている。
興味深い点は多いが、作品全体としてはあまり面白くない。大門先輩の説く正義の味方道は中途半端に終わるし、未来人も信彦も前フリなしに登場するなどストーリー構成に疑問が大きい。最終回も唐突(『RX』には繋げようがない終わり方だ)。
- TVの仮面ライダーに感化され、バイクとスーツを作って光太郎に「正義の味方」の道を説く大門先輩。光太郎はヘルメットを自作してそれに応えるが、同じヘルメットを被った偽物が現れて殺人を犯し、二人の行動は裏目に出る。露悪的なライダーパロディの様だが、これはBlack原作の一挿話。
- TV版の三神官のようなレギュラー幹部はいない。これは萬画版の初代ライダーもそう。「全体像の見えない巨大組織」を演出するには相応しいが、敵の姿が曖昧だと読者は感情のぶつけ所がないという面もある。
- 記憶喪失の光太郎にとって、戦う理由は正義感ではなく文字通りの「自分探し」。中国で老師的なキャラに巡り合ったと思ったら次の回では自ら手にかけることになる。絶望感が半端ない。
- 巧に渡に司、平成ライダーには「戦う動機が自分でもよくわからない」軸のぶれまくるヒーローがたくさんいて、王道的なヒーロー好きを苛つかせたりもする。
- しかし「自分探しの一環としてのヒーロー活動」というコンセプトは石ノ森漫画の一側面を確かに受け継いでるのだと、今更ながら再確認。
北野勇作『どろんころんど』
泥の海に飲まれ、人間が姿を消した地球で目覚めた少女ロボットの旅、もとい、「出張」。
文明社会をうろ覚えで再現する「ヒトデナシ」の世界は、哀愁と可笑しみに満ちていた。同作者の「かめくん」が好きなら間違いなくお勧め。
本作を織りなす言葉遊びと同様、挿絵や文字のレイアウトも遊び心に満ちているが、活字と画像だけでは伝わらない。手で触れることに意味のある一冊。
本作の主人公は小生意気で口の悪いロボ少女。彼女の主観で語られているため、一見人間的な言動が「子役ロボット」という役割に則った計算処理に裏付けられているのが分かる。「ビッグオー」のR.ドロシーの内面もこんな風かもしれない。